サッカーボール分子生成に2説 小さな塊膨らむ・ブロック積み上がる
1996.11.20 東京夕刊 5頁 科学 写図有 (全1965字) 


 炭素原子六十個がサッカーボール型に並び、「極微の芸術品」とも言われるC60。電子素材などへの応用研究が進み、英国のクロート博士、米国のスモーリー博士ら発見者の三人が今年のノーベル化学賞を受けた。しかし、この不思議なサッカーボール分子がどういう過程でできるかはまだほとんど分かっていない。実用化には効率の良い生成法を見つけることが不可欠で、世界の化学者が生成の仕組みのモデル作りを競っている。
 C60は一九八五年に発見された。直径は百万分の一ミリほど。その後、もっと大きな球を作る仲間のC70などが見つかった。内側の空洞を利用して薬の分子を納めるミクロ容器などへの応用が期待されている。
 作り方は至って簡単。黒鉛(グラファイト)を電極にして放電させると、ススの中に一割ほど含まれる。ただし、C60が八割を占め、C76以上の大きなものはそれぞれが一%にも満たない。C76以上の大きな分子だと一グラム八百万円もする。
 C60やその仲間は放電の熱で炭素原子が一個ずつばらばらになった状態を経てできることが分かっている。それが、どうやって球形に結合するのか。研究者の見方は二派に分かれる。
 一つは、風船がふくらむように、小さな塊からグニャグニャ大きくなるというイメージ。
 スモーリー博士の研究室にいた丸山茂夫・東京大助教授(分子伝熱工学)は炭素原子がバラバラに飛び回る状態から、中空の小さな塊が生まれ、C70に成長する様子を計算機実験で再現した=写真。
 一辺が十万分の三ミリほどの立方体の中に五百個の炭素原子を入れ、温度を約三千度に保つ。運動している炭素原子どうしが衝突してくっつき、ひもになる。原子が十個ほどになると、ひもが閉じて輪に。五十個程度になると、塊が中空のかごになり始めるが、原子のつながり方は乱雑だ。だが、かご状に小さく丸まると他の分子とぶつかる頻度が下がる。ぶつからない間に原子のつながり方を整とんし、五角形と六角形だけでできた完全なC70に達する。
 計算はスパコンで数カ月かかった。丸山助教授は「きれいな構造なので、巧妙な生成過程を考えたくなるが、実際には乱雑な状態から徐々に近づいていくのではないか」と話す。
 一方、スモーリー博士や阿知波洋次・東京都立大教授(クラスター化学)は、ブロックを積み上げるように規則的に組み上がり、最後に球が閉じる=図=と考えている。
 阿知波教授は「小さな塊から成長するモデルでは、できあがる分子の大きさに制限がなく、C60が多い理由を説明できない。大きさや形を制限する規則があるはず」と話す。
 C60の仲間には、幾何学的に考えられる構造のうち、特定のものしか見つからない。炭素原子が七十個以上で偶数のものは、次々見つかったが、C72とC74だけは見つからない。また、C86には五角形の配置によって十九種の仲間が考えられるが、実際に見つかるのは二種類だけ。これらも、阿知波教授が「未知の規則」を考える理由だ。
 このほか、(1)C60を切り開いた形の分子ができ、それが折り畳まれてできる(クロート博士ら)(2)炭素原子がつながってできたひもが球形にらせんを巻いてできる(米テキサス大グループ)(3)炭素原子が平面に並んだグラファイトが丸まる(4)チューブが輪切りにされて閉じる、などのモデルも提唱されている。
 丸山助教授は「応用面で重要な、金属原子を内側に含んだものや、原子数の大きいものは、今はごくわずかしか作れない。生成の仕組みを解明し、放電法より効率の高い生成法を開発しない限り、実際の応用には結び付けられない」と話している。
 <C60の仲間と応用> C60の構造が確認されたのは一九九〇年。その後、新材料などとしての将来性に目をつけた化学者が、なだれをうって応用研究に参入し始めた。まず、内部の空洞を利用して、ミクロな容器として使えないかと考えられた。ただ、C60の場合は内部の空洞が狭すぎるため、より大きなものを使う研究が行われている。
 一方、C60の仲間に金属を加えると高温超伝導物質となることが分かった。C76などにランタンやイットリウムを入れた新物質も作られている。
 また、九一年には炭素原子がチューブ状になったものをNECの飯島澄男・主席研究員が発見し、「カーボンナノチューブ」と名付けられた。これは、その丸め方によって良導体から半導体、絶縁体と変化することが分かり、電子素子への応用が研究されている。
 【写真説明】
 計算機実験で再現したC70の生成過程。輪(炭素原子十個、計算開始から五〇〇ピコ秒)から塊(同四十九個、同一二〇〇ピコ秒)、球形(同七十個、同二五〇〇ピコ秒)へと移り変わっていく。「風船型」モデルの一例だ(一ピコ秒は一兆分の一秒)=丸山茂夫・東京大助教授提供
朝日新聞社