シンポジウム・ナノテクは生活をどう変えるか "超微細"が開く可能性=特集
2002.11.20 東京朝刊 31頁 写有 (全3723字) 


◆東京テクノ・フォーラム21
原子や分子の世界を扱うナノテクノロジー(超微細加工技術)が社会に及ぼす影響を考えるシンポジウム「ナノテクは生活をどう変えるか―医療、自動車、通信・家電……」(主催 読売・日本テレビ文化センター「東京テクノ・フォーラム21」=代表・堀川吉則読売新聞東京本社副社長・編集主幹)がこのほど、東京都千代田区の日本プレスセンターで開かれた。大阪大の川合知二教授が、研究の現状と応用の可能性について基調講演。パネル討論では、富士通研究所の横山直樹・ナノテクノロジー研究センター長、東京大の丸山茂夫助教授も加わり、経済ジャーナリストの岸宣仁氏の司会で、ナノテクが開く未来を展望した。(敬称略)
〈出席者〉(順不同)
川合知二 大阪大産業科学研究所教授
横山直樹 富士通研究所ナノテクノロジー研究センター長
丸山茂夫 東京大大学院工学系研究科助教授
司会 岸宣仁 経済ジャーナリスト
〈基調講演〉
◆超小型部品から敏感センサー 家電、医療・・・応用無限に/川合知二氏
ナノテクノロジーという言葉は、テレビや新聞、雑誌などに毎日現れている。原子や分子を操る魔法の技術のように聞こえるが、自分たちの生活にどうかかわるのか、という説明はあまりない。
ナノとは、十億分の一を意味する接頭語。一ナノ・メートルは、原子数個―数十個程度の大きさで、遺伝子を納めているDNAの太さが二ナノ・メートルだ。一メートルを仮に地球の大きさとすると、一ナノ・メートルはビー玉くらいになる。
ナノ・メートルの大きさが重要なのは、生命や材料の機能が発現してくるサイズだからだ。DNAの塩基配列を変えると、私たちの体はまったく違うものになる。素子の分子構造を少し工夫するだけで、温度や磁気、においなどを感知する非常に敏感なセンサーを作ることができる。今後、あらゆる分野でナノテクがキーテクノロジーになっていくだろう。
日本は、二〇〇一年の科学技術基本計画で、ナノテクノロジーを研究開発の四大重点分野の一つとして掲げた。米国でも、クリントン前大統領が、ナノテクを用いて議会図書館の全情報を角砂糖一個の大きさのメモリーに記録するという大目標を示すなど、国家レベルでの取り組みが各国で進んでいる。
ナノテクはいつ身の回りに現れるのか、という質問をよく受けるが、実は、すでに生活の中にあふれている。例えば、携帯電話の電子回路にはナノ・メートルサイズの技術が使われている。
記憶素子や電子カメラは超小型になり、家電製品に組み込まれて生活を大きく変えていくだろう。ロボットももっと利口で、便利なものがいずれ登場する。運転者の体温の上昇や汗を検知してエアコンをオンにしたり、心臓がどきどきしていたらリラックスする香りを流したりする車の開発も、もはや夢物語ではない。
補聴器や入れ歯、人工骨なども小さく強くなり、生体となじみやすくなって失われた体の機能を補ってくれるだろう。私たちはこれをヒューマン・ボディー・ビルディングと呼んでいる。高齢化社会でとても重宝する技術となるだろう。
医療分野でも応用できる例は多い。がん細胞を狙い撃ちして薬を届ける超微小医療マシンやなめるだけで即座に健康状態がわかる診断チップも可能だ。
そのほか、環境・エネルギー分野では太陽電池や燃料電池など、応用範囲は限りなく広い。
このようなナノ部品をどのように作るのか。
一つは、大きな素材を加工して微細な構造を作る「トップダウン」という方法。もう一つは、原子や分子を望む形に組み上げる「ボトムアップ」だ。両方の技術が、極小レベルで使えるようになってきた。
◆人工骨、歯 実現早そう/川合 何年間も効く薬作れる/丸山 使いやすいパソコンも/横山
岸 基調講演で出たヒューマン・ボディー・ビルディングについて伺いたい。
川合 私たちの体は、DNAをはじめ様々な部品が神業のように見事に組み合わさってできている。それをナノテクで人工的に作ろうという計画だ。ただ、いきなり人体を作ることはできない。まず、ナノテクで体になじみやすい素材を作り、内耳や網膜など人工感覚器の開発に応用する研究に来年度から取り組む。
岸 富士通はバイオチップの開発に力を入れているそうだが。
横山 高齢化社会では、お年寄りが安心して生活できるように、自宅で安く健康をチェックできるシステムが必要だ。少量の血液で感染症やがんの診断ができる検査キットが作れるといい。プロテイン(たんぱく質)チップといって、肝炎やエイズなどの抗体を小さなチップに組み込んだキットの開発を進めている。
岸 医療分野で最初に恩恵を受けるのは。
川合 患部だけに正確に薬を送り込む「ピンポイント薬物伝送システム」は夢の技術と言われていたが、開発は驚くほど速く進んでいる。がん治療で成果が上がっており、カナダでは臨床試験も始まっている。安全性が証明されれば、一気に進むだろう。ナノテク素材を用いた人工骨、歯は比較的早くできそうだ。臓器では心臓が一番早い。
丸山 幅がナノサイズの入り組んだ通路をうまく作ることができれば、長期間少量ずつ薬を出し続けるようなカプセルを開発できる。何年間も効き目が続く薬になる。
岸 (超極細の炭素の管である)カーボンナノチューブは、燃料電池の燃料となる水素を貯蔵する能力が高そうだと期待されていたが、現在はどうか。
丸山 当初の実験で、金属など不純物の影響で大きな値が出て大騒ぎしてしまった。計算や実験をやり直してみて、水素貯蔵は難しいというのが結論だ。
岸 ナノチューブを用いた薄型ディスプレーについてはどうか。日韓で製品開発競争が繰り広げられているようだが。
丸山 普及し始めているプラズマ・ディスプレーは、電力を消費しすぎるのが欠点。カーボンナノチューブを電子発生装置として使うディスプレーは、低消費電力なのに明るく、大型化出来る。製品開発では、多くの大学に研究費を出して大々的にやっている韓国の三星電子が進んでいる。もちろん日本のメーカーも研究しているし、底力はあると思う。
岸 電子素子の柱であるシリコンに代わり、産業構造を革新するようなナノ素材は出てくるか。
川合 今後もシリコンが中心になるだろう。ただ、ナノテクがバイオテクノロジーと融合すると、(シリコン素材も)これまでにない豊かな発展を遂げるだろう。
横山 従来、シリコンは、どれだけ小さく加工できるかが目標だったが、いまは、新しい材料と組み合わせて新機能を生み出す方向に向かっている。カーボンナノチューブも有力な相手候補の一つだ。
岸 ナノテクでパソコンを電話のように簡単に使えるようにならないか。
横山 パソコンのメモリーを高速で保存性のよいものに代えると、電源スイッチを押せばすぐにオン状態にできるようになる。手書き入力や音声入力などの精度も、高性能部品を開発すれば向上させやすい。ナノテクは、使いやすい電子機器を生み出すのにも役立っている。
岸 それでは会場から質問をどうぞ。
質問 ナノテクで糖尿病を治せるか。
川合 ピンポイント薬物伝送システムで膵臓(すいぞう)そのものの機能を回復させる方法と、体内にバイオチップセンサーを組み込み、出てくるインスリンの量を調節する方法の二通りが考えられている。安全性の問題はあるが、技術的には数年以内に可能になる。
質問 (食品を摂取する前に中毒のおそれがないかを簡便に検査できる)毒味センサーを実用化できないか。
川合 ナノテクで重要なのは、手軽で安く、すぐに答えが出るものを作ること。毒味センサーはまさにぴったりの応用例で、研究は進んでいるが、まだ技術的な課題が残っている。
質問 カーボンナノチューブは、不純物が多少混じっていても、よい性能を得られるのか。
丸山 ディスプレーに応用する場合、完全でなくてもそれなりのものはできる。高い完成度が求められる製品もある。チューブの精製レベルによって、使い道が変わってくる。
質問 いろいろな応用分野があるが、日本はそれぞれ世界でどういうレベルにあるのか。今後の戦略は。
川合 全部の分野を攻めるわけにはいかない。日本が強いのは、自動車、電子素子、機械。これを伸ばすために、ナノテクや情報通信技術などを重点的に強化するのが一つの戦略だ。バイオ分野では、極小サイズの物質を計測する技術力が高い。医療応用と併せて進めるべきだ。環境面では、自動車用の燃料電池などをとっかかりに発展させたい。
◇かわい・ともじ 1946年生まれ。東京大大学院博士課程修了。国立分子科学研究所助手などを経て92年から現職。大阪大産業科学ナノテクノロジーセンター長併任。
◇よこやま・なおき 1949年生まれ。大阪大大学院修士課程修了。富士通研究所機能デバイス研究部長、主席研究員などを経て2000年から現職。
◇まるやま・しげお 1960年生まれ。東京大大学院博士課程修了。同大助手、米テキサス州ライス大客員研究員、東京大講師を経て93年から現職。
◇きし・のぶひと 1949年生まれ。東京外国語大卒。読売新聞社経済部記者として、大蔵省、通産省などを担当。91年からフリーに。
写真=川合知二氏
写真=横山直樹氏
写真=丸山茂夫氏
写真=岸宣仁氏
写真=ナノテクノロジーの応用分野と例
読売新聞社