季刊フラーレン(Vol.4 No.4)より
5.研究室紹介(第16回)
東京都文京区本郷の銀杏並木に囲まれたキャンパスに機械系三専攻(機械,産業機械,機械情報)がある.機械工学科(機械工学専攻)は東大の工学部で最も古く伝統のある学科の一つである.研究室の紹介の前に,それにしても機械工学専攻でなぜフラーレンの研究をしているのかという質問に答えるためにRice大学でのSmalley教授との関わりついても少し紹介する.
1.機械工学専攻でなぜフラーレンの研究?
機械工学専攻といえばもっぱらエンジンやロボットを作っていると思われることが多い.確かにロボットやエンジンも重要な研究テーマであるが,これらと関連する基礎学問としての熱・流体関連の研究を進めていくと燃焼,表面反応,レーザー関連技術などにおいて,よりミクロな物理的現象の理解が欠かせなくなってくる.そこで,分子レベルでの熱流体工学という新しい研究分野が生まれてきている.このような状況の中で,博士論文を乱流熱伝達に関する研究で終えて助手になったばかりの私がRice大学Smalley教授の所に長期出張することになったわけである.
当時はまだKrtschmer & Huffmanの大量合成の前であり,Smalley教授はクラスターや分子ビームの分野での有名人にすぎなかった.私自身は全く予備知識がなかったので,あまり深く考えずに,各種のクラスターを生成する実験を行っているらしいというTexas州HoustonのRice大学に向かった.
結果的に,1989年5月から1991年2月までの1年10ヶ月間,Rice大学のSmalley教授のところで研究をすることとなった(写真1).最初の1年は東大からの出張でありRice大学ではVisiting
Scholar,後半は東大を研究休職となり,かわりにRice大学Rice
Quantum InstituteのVisiting
FellowということでSmalley教授から給料をもらった.
最初にKelly Taylorらの大学院生と組んでクラスタービームのUPS(紫外光電子分光)を2〜3ヶ月間行ったが,このときは専らKellyから色々と教えてもらうばかりであった.何しろレーザーも真空装置も見たことも触ったこともない状態で出かけてきたわけだから,勉強することばかりであった.次に,新しいクラスターソースの設計を始めた.これをFT-ICR(フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析装置)に取り付けて,満足に使えるまでに半年以上かかったが,その間は本当に集中的に勉強のできた時期であった.その後は,ようやく大学院生に教わるよりも教える立場になった.シリコン・ゲルマニウムの研究をLila
Andersonと,金属クラスターについてTapani
Laaksonenと,炭素クラスターについてはMaggie
Leeと組んで行った.また,Lihong
Wang, Felipe Chibante, Robert Haufler, Mike Alford, Lai-Sheng
Wang, Yan Chaiらの学生との議論も非常に楽しんだ.
そして,残りの3〜4ヶ月でTing
Gaoに一通りのことを引き継いだ.
この間,半導体クラスターのエキシマレーザーによるアニーリング,C600程度までの巨大フラーレンの解離実験,フラーレンのThermionic
Emissionなどと新しいを結果を次々に検討できた.
順調に実験が出来るようになった頃にKrtschmer
& Huffmanの大量合成のFAXがSmalley教授のところに届き,ワインで乾杯すると同時に一時はFT-ICR以外の実験装置はすべて休止させて,研究室総出でアーク放電法の実験装置の製作に取りかかった.私自身はFT-ICRの方をもう少し極めたいと思っていたのであるが,実際にはその後蒸発させたサンプルは圧倒的にフラーレン関連のものが多かった.
写真1 Rice大学Smalley教授の研究室で(左がSmalley教授,右が丸山,手前にアーク放電フラーレン生成装置の冷却用銅パイプが見える)
2.研究室の構成
平成3年に日本に帰ってきてみると,実験装置も全くなく,一体どこから研究を始めたものかという気分であった.フラーレンに関してはいよいよ加速度的に研究が広がっているときであったから,物理や化学の方面の方々におまかせして,当面は分子動力学法を使って機械の方面の分子熱工学を目指そうと一旦は決めた.一年ほどの間,フラーレン関連の研究はやめていたが,その後Smalley教授が3度ほど日本にやってきて,議論したりの間にフラーレンの世界に引き戻された.
とはいっても何もない状態からの実験はかなり難しいものがある.結局,庄司正弘教授のコネで長野計器(株)にアーク放電法の実験装置を作ってもらえることになった.長野計器(株)の山野上氏と(株)ナガノの丸山氏には大変に感謝している.
その後は,予算面では大澤先生の重点領域研究の阿知波班に入れてもらったことを初めとして少しづつ実験らしいことが出来るようになってきた.また,学生の数も平成4年度に学部生3人から始めて,徐々に増えてきた.
研究室は,庄司正弘教授と一体運営で庄司・丸山研究室または伝熱工学研究室と呼ばれている.庄司教授の専門は沸騰熱伝達であり,私の研究テーマであるフラーレンや分子熱工学との直接的な接点は少なく,研究面・予算面ではほとんど独立した形になっている.現在の分子グループのメンバーは,井上
満助手,D1が1人,M2,M1が2人ずつ,4年生が3人である(写真2).このうち直接フラーレン関連のテーマを受け持っているのは,D1の山口康隆君とM1の畑江尚雄君がシミュレーション,M2の林
秀明君と学部4年生の吉田哲也君が新たなFT-ICR装置の開発,M1の木村
大君,山本愛彦君がレーザー蒸発クラスターソースとTOF質量分析装置を担当している.フラーレン以外のテーマでは,M2の倉重俊武君と学部4年生の木村達人君が相界面の分子シミュレーションを行っている.
写真2 研究室のメンバー(左から,D1:山口,M1:畑江,学部:木村,学部:吉田,M2:林,丸山助教授,(庄司教授の)秘書:渡辺,M2:倉重).手前に波長可変レーザー,後ろにTOF質量分析装置がわずかに見える.
3.研究テーマ
実験的な研究は,アーク放電法フラーレン生成装置による生成とレーザー蒸発超音速膨張クラスターソースとレフレクトロン質量分析装置による研究を行っており,現在は,FT-ICR質量分析装置の製作を進めている.一方,分子動力学法を用いたシミュレーションによってフラーレンの生成過程の検討を行っている.また,ナノチューブの生成機構に関してもシミュレーションの可能性を検討している.
3−1.フラーレン生成過程の分子動力学シミュレーション
現在D1の山口君が始めて4年目になる.フラーレンの生成機構について何らかのシミュレーションができないかと考え,最初はゲームのような単純なものでもと考えてスタートしたが,最近は色々とおもしろい結果がでてきている.シミュレーションの過程を図1のように表現できる.この図では,どの様な形状,サイズのクラスターが衝突して最終的にC70になったかを表している.一方,このようなシミュレーションで無視されがちなアニーリングの効果について考察するため,シミュレーションの途中で現れるちょうど炭素が60個のクラスターC60を取り出して徹底的に一定温度でのアニーリングをしてみたらStone-Wales変換を繰り返してとうとう完全なIh対称のC60になった(図2).これらの結果よりフラーレン生成機構に関するかなり具体的なモデルを示すことができると考えている.
計算には,以前には東京大学大型計算機センターのスーパーコンピューターを用いることが多かったが,最近では,機械系三専攻共有の並列コンピューターを用いることが多くなってきた.図2の結果は,この計算機で1ヶ月ほど計算してようやくIh対称となったわけであるが,その2日ほど前にはこんな見込みのない計算は断念しようとある研究会で明言したところであった.
これ以外にも炭素ナノチューブの生成機構に関しての計算をM1の畑江君が始めている.
写真3 フラーレン生成過程の分子シミュレーションの様子(左:山口君,右:丸山助教授,中央:パソコン上で完全にIh対称となったC60)
3−2.アーク放電型フラーレン生成装置(図3)
私にとっての実質的には最初の学生である高木
敏男君(現:住友電工)と望月
厳雄君(現:旭硝子)とともに設計をして,長野計器(株)のお陰で完成したフラーレン生成装置である.基本的な設計は,Rice大学のSmalley教授のところのものとあまり変わらないが,ステンレス二重筒の水冷装置などの特色をもっている.この装置と液体クロマトグラフィーやソックスレーなどの装置をそろえて,緩衝ガスの種類や圧力,流れ,放電に関する電流,電圧,ギャップ長さなどがフラーレンの生成率にどの様に影響するかなどの検討を行ってきた.また,チャンバー内の温度分布を計測して内部の伝熱様相についての検討をした.現在は,少し休憩しているが,今後も金属内包フラーレンと炭素ナノチューブの生成に用いる予定である.
3−3.レーザー蒸発クラスターソースとTOF質量分析
平成6年度から作り始めたのが写真4に示すレーザー蒸発超音速膨張クラスターソースとレフレクトロン型TOF質量分析装置である.金原
秀明君(現在:三菱マテリアル)が中心となって,林
秀明君らとともに開発してきた.現在はM1の木村
大君と学部の山本愛彦君とで責任を持って使用している.図4にクラスターソース部分を示す.予算の関係でRice大学で設計したときよりも単純な構造となっているが,ノズルの形状はほとんど同じである.
図5に炭素クラスターの陽イオン質量分析結果を示すが,今までに発表されているものと基本的に同じである.クラスターソースに関しては,炭素材料以外にも銀やシリコンクラスターの生成にも用いており,汎用のクラスターソースとなっている.また,レフレクトロン型の質量分析装置は,飛行途中でのレーザー照射と質量選別ができるように設計されている.予算の事情で非常に短期間に設計する必要があったために保守的な装置であるが,今後変更を加えられるのが容易であるように工夫をしてある.ここで,用いるレーザーは,固体材料蒸発用のNd:YAG
(2倍波, Continuum Surlite
10)とNd: YAG(3倍波,
Continuum Powerlite)励起のOPO波長可変レーザー(Sunlite)があり,現在,エキシマレーザーを準備中である.測定系は,PCからGP-IB経由で制御する形式としており,このためのDOSプログラムの開発にもSmalley教授のプログラムを参考にさせてもらった.